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ゲーム界の謎:「正義の味方」が暴力的な理由

ゲームの歴史を振り返ってみよう。1人称視点のシューティングゲームの元祖『Doom』では、プレイヤーは海兵隊員を演じた。その後登場したのが、愛国心を胸にコントローラーを握る、第二次世界大戦をテーマにしたタイトルの数々で、プレイヤーはアメリカ合衆国という明確な権威の後ろ盾を得て、日本人やドイツ人の兵士の頭を吹き飛ばして喜んでいた。だが、ゲームを批判する人たちの憤りが本当に爆発したのは『Grand Theft Auto III』が世に出たときだ。これは超人気タイトルとしては初めて、従来とは反対にプレイヤーが警官を殺す暴漢を演じたゲームだ。

 『GTA』シリーズを痛烈に批判した人たちが、テロリストに立ち向かう特殊工作員が主人公の『Rainbow Six』シリーズを同じように非難しなかったのはどうしてだろう?なぜなら、ゲームは残虐行為を論理づける保守派の立場をむき出しの形で示すものだからだ。暴力は――恐ろしい、戦争犯罪レベルのものでさえ――国家の後押しを受けて行なう限りまったく問題にならない。相手が恐ろしいアラブ人や都会のギャングなら、どんどんやっつければいい――両手で機関銃をぶっ放し、手榴弾を投げつけて吹き飛ばしたからといって、憤慨する人なんていない、というわけだ。

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ここには、苦悩に満ちたポストモダン的なサイバーパンクの話などない――主人公は、竜や刀剣が登場する中世のファンタジーの世界に生きる、澄んだ目をした勇気ある若者だ。4人の冒険者とともに町から町へ、ダンジョンからダンジョンへと旅を続け、モンスターたちを退治し、レベルを上げ、新しい武器を買い求める。