ティム・ウー「マスタースイッチ」

マスタースイッチ

マスタースイッチ

発売直後に買っていたものの、400頁弱で上下二段構成なので、読むのに時間がかかってしまいました。米国における独占と競争の歴史とその中でいかにして独占を分離する動きが起こってきたのかをかなり詳細に論じた本で非常に興味深い示唆がたくさん書かれています。ただし、取り上げられているのは米国の電話や映画、CATV、コンピュータ、インターネットなどの技術史なので、馴染みがない業界、会社も少なくなく、このあたりに関心もてるかどうかで好みが分かれそう。

要旨は小林啓倫氏の「【書評】イノベーションを殺す「クロノス」とどう付き合うのか――『マスタースイッチ』」にて丁寧にまとめられているのでこちらもご参照いただくと良いかと。

個人的には、自由と独占について法学者のティム・ウーがどのように分析するのかという点で読みましたが、その点では若干物足りない感があった。

 情報産業では、「分離原則」の重要性を認識することが大切だ。いや、「改めて認識する」といったほうがいいだろうか。ともかく分離原則で私が主張したいのは、情報産業を構成する様々な機能の間に、健全な距離を保つことだ。主な機能同士を分離すれば、新興企業を古参の巨大企業から保護することにもなるし、政府と産業の間の距離も保てる。
 一歩間違えば強大な力を持ちかねない集権的な力は、分離することが大切なのだ。立法、司法、行政の三権分立や、政教分離も同じ発想だ。つまり、政治の世界でごく当たり前の原則を、情報産業にも適用してはどうかということである。(p.350) 

そして、この分離の形態として、以下3つの形態に分類し、これまでの米国の情報産業の歴史を紐解いている。

  1. 一時的分離
  2. 市場間、機能間、プラットフォーム間の分離
  3. 規制による分離

この3形態にこれまでの米国の情報産業を当てはめて分析されており、その点は非常に勉強になった。

ただ、本書の最後に監訳者の坂村氏が書かれている点でもあるが、もう少しこの「独占の良きコントロール法」の方法論についてボリュームをかけて議論して欲しかったと感じた。

独占には良い面もあることを著者も認めている。その上で、「独占の良さを残し、その弊害を最小化するにはどのような規制の形が望ましいか」―つまり「独占の良きコントロール法」という方法論で高度な議論を行う段階に、試行錯誤のすえとはいえ、米国は進んできている。(p.377)

米国の情報産業史やその技術史、人間史は非常に面白くそれだけでも本書を読む価値はあるものの、確かに結論そのものはかなり曖昧な形で書かれているようにも感じるため、その点では、山形浩生氏がyomoyomo氏のブログのコメント欄で書かれていた指摘にも少し共感したり。

ティム・ウー、打診きたけどけっぽってしまいました。だってティム・ウーの本ってすべて「もうすべて国家が仕切ってるんだよ、大企業が仕切ってるんだよ、自由なんて思ってる君たち、甘ちゃんすぎ、あらゆる抜け道はふさがれていて、もうどうしようもないから、みんなかえってクソして寝ろ、あ、かーすかに希望のあるところも……でも無理だから期待するだけ無駄、じゃあねー」というだけで、何も提言がないんですもの。

ただし、これだけの大著なので、1度読んだだけで理解しきれていない点もあるので、また要所要所を読み返しつつ、個人的にも考えを深めていく必要はあるなぁ。この分野に携わる人には是非目を通しておきたい一冊であることには間違いないかと。
本書については、再読した上でもう少し深掘りして考察したものを書きたいと思う。いつになるかは未定ですが。。