ネットワーク分析

3月14日朝日新聞夕刊に西垣通氏のコラムがあった。
なかなか面白かったので、それを引用しながら、ネットワーク論について考えてみる。

ネットワーク分析 西垣通(ヒト科学21)

 ニッポン放送の株買収をめぐるフジテレビとライブドアとの争いが物議をかもしている。ライブドアの攻勢は旧来の日本型ビジネスに風穴をあける快挙だという改革派もいるが、強引なやり方と娯楽中心主義に眉をひそめる経済人・文化人も少なくない。ただ情報学者として言えるのは、これが「インターネットとマスメディアの融合ないし相互補完」という、21世紀の大潮流のさきがけであるという点だ。たとえライブドアが敗れても、同様な動きはかならず繰り返されるだろう。

ちなみに、情報学者である西垣氏の著作として個人的に面白かったのは、

基礎情報学―生命から社会へ
西垣 通

NTT出版 2004-02
売り上げランキング : 28,838
おすすめ平均

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
である。生命情報から社会情報まで広い考察と深い洞察が織り交ぜられた、まさに情報に関する名著といえる本だった。だが、それだけあって内容は難解なので僕自身まだ完全に理解できていないのだが・・・・。

ちょっと長いけど残りの記事↓

 ○ネット空間は平等か

 インターネットというメディアは、マスメディアに支えられた現在の中央集権型社会を根本から変える可能性を秘めている。これはマイクロプロセッサー光ファイバーといった新技術のせいだけではない(たとえば衛星放送はすばらしい新技術だが、あくまでマスメディアの一部にすぎない)。むしろ大切なのは、インターネットが新たな方法で人間同士を結びつけることである。それは従来の地域や職場の仲間とは異なるネット・コミュニティーを作りあげ、新たな生活意識や経済活動を生み出すのだ。すでにネット・コミュニティー内の意見交換から新製品が開発されたり、ネット仲間で評判になったアーティストの作品がヒットしたりといった例は少なくない。

 とはいえ、ネット・コミュニティーがいかなる性格を持ち、われわれの生活がどうなるかについては、まだ不明瞭(ふめいりょう)な部分も少なくない。

 まず気になるのは、ネット空間がはたして平等かどうかである。一部の人々だけが発言し一般大衆の思考や行動を均一化するマスメディアと異なり、ネット空間の中では、みな平等に発言できるので個性が尊重され多様性が増していく、とよく言われる。これは本当なのだろうか。確かに個人用のウェブ・ページを作りそこで自分の意見を発表することはできる。しかし、このことと影響力の大小とは別だ。ネット・コミュニティーを事実上少数の人々がリードし、大多数はそれに同調するということはないのだろうか。

 ○「ハブ」こそが王者になる

 この疑問を考えるためには、ウェブ・ページのリンクの仕方に注目してみるとよい。現在、インターネットの中には何十億というページがある。われわれはそれらの間に張られたリンクをたどってページを眺め、また書き込みをする。いわゆるネットサーフィンだ。ひんぱんに同じページを読み、またそこに書き込みをする人たちは、一種のコミュニティーを作っていると見なすことができる。さて、もしどのページもほぼ同数のリンクに連結されていれば、そこには民主的な平等性が成立していると考えてよいだろう。

 しかし現実にはそうなっていないのだ。少数の有名なページだけが何百何千というリンクを持ち、その他の大半のページはほんの数個のリンクしか持っていない。多くのリンクを持つページは「ハブ」と呼ばれる。また、ページ群はハブを核として幾つかの「集塊」を形成しており、決して一様に分散してはいない。ハブ・ページこそがネット空間の王者であり、そこに書かれたことだけがネット・コミュニティーで絶大な影響力をもつのである。

 これは、マスメディアとは違った方法で、インターネットが一般大衆の思考や行動を組織化していくことを意味している。両者が融合する21世紀社会の様相はなかなか複雑なものになるだろう。

 ○世界はシステムの集合

 インターネットに限らず、ネットワーク一般の性質を探究するのが、ここ数年急に文理両方の研究者に注目され始めた「ネットワーク分析」という分野である。ネットワークの数学理論としては古典的なグラフ理論がよく知られているが、これと違って、ネットワークが次第に形成されていく様子を主に分析するのがその特徴である。

 あらゆるネットワークは、ノード(結節点)が追加され、これが既存ノードとリンクされることで成長していく。このとき、リンクが張られる既存ノードはランダムに選ばれることは少ない。いかなるノードが選ばれるかがネットワークの性質を決定づける。たとえば、多くのリンクを持つノードが選ばれるなら、ハブ・ノードが出現するのは当然だろう。

 学問的に興味深いのは、ハブ・ノードがあるネットワークが、自然界の神経細胞ネットワークから人間社会の人脈ネットワークまで、いたるところで発見されているという点なのだ。そこには中央からの指令によらない、自発的で自己組織的な同調作用が見られる。私はなにか深いものを感じないではいられない。

 インターネットをめぐっては、既に様々な定性的議論がなされてきた。サイバーテロが暴走するとか、コンピューター・ウイルスで全世界が振り回されるという警告もある。以上のべた議論によれば、テロ対策としてハブの防衛が肝心なのは明らかだ。また、ハブでウィルスを駆逐すれば、被害を最小限に抑えることもできるだろう。

 むろん、定量的なネットワーク分析は、インターネットに関する問題をことごとく解決する魔法の理論ではない。だが、世界をネットワーク上でコミュニケーションがおこなわれるシステムの集合とみなすこと、さらにそのダイナミックスを可能な限り科学的に分析していくことは、よりよい21世紀社会を模索するための手がかりを与えるのではないだろうか。

ネットワーク分析に関しては下記の2冊が参考になる。

新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く
アルバート・ラズロ・バラバシ 青木 薫

NHK出版 2002-12-26
売り上げランキング : 1,809
おすすめ平均

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

スモールワールド・ネットワーク―世界を知るための新科学的思考法
ダンカン ワッツ Duncan J. Watts 辻 竜平 友知 政樹

阪急コミュニケーションズ 2004-10
売り上げランキング : 678
おすすめ平均

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

ところで、この西垣氏の記事に関しては綾川亭日乗さんのブログにおいても取り上げられていて、ここでは

「自発的で自己組織的」とか「よりよい21世紀社会」というところに、西垣センセは未来をまだよりよいものをお考えなのかな、と思ったりしたのだが、これだけでそうと断定するわけにはいかない。

たしかに自発的で自己組織的というと、それは何かよいもののような印象を受けるのだけど、……なんというのかなぁ、ナチズムと「より強いドイツ」を唱えるヒトラー一派を前にして、かつての大多数のドイツ国民は自発的に同調していったのじゃないかなぁとか、思うと、私は素直によりよい明日を夢見れないのだ。

杞憂かもしれない。だが、ここ数日の人権擁護法案を巡る過激な論調、それも過激に法案反対を唱える人々、ハブ・ページとそれに群がる「集塊」を見ていると、どうも、妙な気分になってくる。

21世紀は、20世紀の全体主義の過ちを、まずネットで再現することになりやしないか……そんな不安である。

という非常に興味深い考察があった。個人的には<自発的に>ハブの数も多くなるんじゃないかと思うので、その意味ではむしろ多様な価値観のハブが対立・協調を繰り返していき、一つのハブに収斂することはないんじゃないかと思いますが。もちろん、そういったハブの一つにメディアがあるわけで、このメディアが一つに収斂してしまうと、綾川亭日乗さんが危惧するようなことにもなりかねませんが・・・。

最近は、いろいろな分野の人がネットワーク分析手法を自分の分野に適用しようとしている。
たとえば脳科学者の茂木健一郎氏もブログ

 最近思うことは、脳科学を「脳」科学としてやっているうちは、相対性理論やDNAの二重らせん構造発見に相当するブレイクスルーは起こらないのではないか、ということである。

 たとえば、「スモール・ワールド・ネットワーク」という視点をとれば、脳の神経細胞のネットワークと、ハリウッド映画の俳優の共演関係と、インターネットの構造が同じ数理で語れる。
 そんな視点が重要なのではないか。

と述べているように、ネットワーク分析を脳科学の分野にも導入することの重要さを主張しているし、政治・経済学・メディア論などにおいては現在ネットワーク分析はブームになっている。

個人的にも学部ではネットワーク分析を中心に学んでいたので、非常に関心があるし、大学院においてもその手法を公共政策に適用させてみるつもりである。
しかし、単にブームに乗っかって、なんでもかんでもネットワーク分析を適用してしまうと、綾川亭日乗さんの書かれているようなことにもなりかねない。冷静に現状社会に分析する能力と、高度な数理分析手法が求められ、それらによって初めてネットワーク分析の力が発揮されるのだろう。

現在ネットワーク分析がどの分野にどのように適用されているのか、について関心があるので、これに関しては引き続きリサーチしていきたいと思う。