競争戦略としてのグローバルルール

競争戦略としてのグローバルルール―世界市場で勝つ企業の秘訣

競争戦略としてのグローバルルール―世界市場で勝つ企業の秘訣

世界にその卓抜した技術力を誇る日本は、それゆえに1つ気をつけなければならないことがある。「技術力」と「技術力を活かすルールをつくる力」は別物だということである。(p.29)

国際経済交渉にあたる現役の官僚が、グローバルルールがいかに作られているのか、その中で各国、あるいは民間企業がどのようにその思惑を実現しようと動いているのかを著者の実体験をもとに書かれた、非常に刺激的な本。
特に日本は「技術力」があるものの、それを世界の交渉の場で活用しきれていない。
その背景には、

  1. 技術力を過信してルールに意を払わない
  2. 技術力があるのだからルールづくりでも発言権があると漠然と期待する
  3. 技術があればルールは不要という論陣をはって仲間はずれにされる

といった3つのパターンがある。(p.32)

「日本は技術力があるにもかかわらず、技術標準化で出遅れているのはけしからん」という議論をよく耳にする。しかし、この議論は標準化というルールづくりの理解が十分でないことを示している。それは、標準化されるのは何らかの社会的意味がある技術であって、「高度で優れた」技術が標準化されるのではないということである。技術をルールとして世界標準にするということは、社会的所作なのである。ある技術を技術標準にしたければ、標準化することによって広く世界の産業、消費者が禆益するということを、他のプレイヤーに納得させなければならない。それができれば、技術が完成する前に標準化のプロセスをはじめることすらできるのである。(p.35)

技術力があっても、それを交渉のルールに活用できなければビジネスとして利用することができない。そのためには、そのルールの理念を他の関係者に説明し、納得してもらう活動が必要ということ。ただし、その交渉力が世界の中でまだまだ弱い。そのためには、どうすればよいのか、本書ではそこまで踏み込んで色々と提案されており、自分自身の活動にも色々と活用できるノウハウや考え方がてんこ盛り。是非多くの人にも読んでもらいたい本です。
なお、以下の指摘が個人的には自分も強く共感した。

「言い出しっぺにやらせろ」、自分で行ったことには自分で責任をとれ、「口にした」以上、「実行」する義務を負う。日本社会の文化的規範、日本的な「責任」観だ。
しかし、この発想も日本が理念や価値観をのびのびと世界に訴えかけることを妨げる。「言い出しっぺにやらせろ」ということは、言い方を変えれば「実行できる範囲で発言せよ」ということである。これは「できる見込みのあることしか言わない」に容易に転嫁する。考えてみれば、理念を語る能力に秀でた人間が実行能力にも恵まれているとは限らない。人間にはそれぞれ得意なことがあるとすれば、「言う」人間と「行う」人間は別で良いはずだ。何かを言えば最後まで責任を負わされるなら、人は口を閉ざし縮こまる。
国際社会では「理念、目標を掲げる」人たちと「実行するための知恵を絞る」人が別であることは別に珍しくない。第2時世界大戦後にヨーロッパの統合を訴えた少数の理想家と、統合を少しずつ、しかし、着実に実行した実務家は別の存在で合った。外国では「そんな事言うなら自分でやってみろ」といった類いの批判が理想を高く掲げる人に向けられることはない。実行するための知恵がないなら、高い理念や目標を掲げてはいけない、ということにはならないのである。大風呂敷を広げるある意味の無責任さがもたらす議論の崇高さが、国際社会ではときに必要であり、評価もされる。(p.129-130)

また、グローバル交渉の具体的なやりとりが書かれた類書で面白かったものとして、通産省出身のサッカー協会・元専務理事平田さんが書かれた以下の本がある。こちらも合わせて読むと国際交渉の重要性と理解が深まると思う。

サッカーという名の戦争―日本代表、外交交渉の裏舞台 (新潮文庫)

サッカーという名の戦争―日本代表、外交交渉の裏舞台 (新潮文庫)