最高裁回想録

最高裁回想録 --学者判事の七年半

最高裁回想録 --学者判事の七年半

大変面白く、勉強になった。

杜の都での三六年間の学究生活を経て最高裁判事となった著者による,最高裁での七年半の回想。裁判官としての執務や生活の実態,また,最高裁判例が直面する様々な問題への対処に当たって裁判官として何を考えたかを明らかにし,学問と実務について考察する。
第一章 最高裁判事就任まで
第二章 執 務
第三章 関与した事件から
 第一節 概 説
 第二節 行政事件と近時の最高裁(その一)─行政事件の重要性
 第三節 行政事件と近時の最高裁(その二)─司法制度改革との関係
 第四節 行政事件と近時の最高裁(その三)─その他の事件から
 第五節 憲法事件と近時の最高裁(その一)─変化の胎動
 第六節 憲法事件と近時の最高裁(その二)─最高裁は保守的(conservative)か?
 第七節 刑事事件と近時の最高裁
第四章 学者と裁判官の間で
 第一節 「学問」と「実務」
 第二節 「判例拘束性」,「説明責任」等々
第五章 裁判以外の公務
 第一節 司法行政
 第二節 出 張
 第三節 判例委員会
 第四節 長官代行への就任
 第五節 宮中との関係
終 章 退 官
〈付録〉個別意見

個人的には第4章の学者と裁判官のあり方の違いについての考えが面白い。
学者から裁判官になってどこが一番違うと思うか、という質問に対し、著者は、

「学者は、分からないことは分からないと言って判断を先送りすることができるし、また、分かっていないことを分かったと言ってはいけないが、裁判官は、本当は分からなくても、ともかく決めなければならず、判断を先送りすることができないところが、何よりも大きな違いである」(p.149)

と答えてきたとのことだが、審議においていかに早く判断を下すのかという点がやはり実務と研究の大きな違いなのだろう。そして、その実務家に対して学者はどのような貢献ができるのか。
この点について著者は、

より重要であるのは、最高裁の裁判官が事件についての判断を迫られているとき何を本当に知りたがっているかということについて、法律学者が深い理解をしていないのではないか、とおもわれるケースがあることであろう。そしてこのことは、裁判判決が本来「結果志向的」であることの十分な理解の有無とも関わる事柄である。
裁判官とりわけ最高裁の裁判官は、自らの下した判決が結果としてどのような効果をもたらすかを、ひとつの重要な考慮要素とする。この考慮は、将来に向けての判例形成ということのみならず、その採用した法解釈が波及的にどのような事態をもたらすか、ということにも及ぶ。
(中略)
学会が真剣に議論すべきなのは、今や、これらの法令が平等原則に違反するか否かの問題自体というよりは、むしろ、意見であると判断される場合の波及効果とそれへの対処方法如何の問題というべきだろう。(p.152-153)

これは実務vs研究の関係について、法学以外の領域にもいえることでしょう。

最高裁の違憲判決

最高裁の違憲判決 「伝家の宝刀」をなぜ抜かないのか (光文社新書)

最高裁の違憲判決 「伝家の宝刀」をなぜ抜かないのか (光文社新書)

上記の本と関連して、同時期に読んだ。

最高裁長官の事業を初代から追うことによって、「物語」のような違憲判決の歴史を舞台に上げる。あまり知られていない長官の素顔にふれて、”床の間”にある判決が少し身近に感じられるのではないか。(p.7)

戦後から現在までの最高裁長官の任期をもとに章分けされ、長官や判事の「人」の観点から、判決を分析している点が、単なる判決説明に留まらない読みやすさと面白さがある。