持続可能な社会とは「大聖堂を建てる」こと。

未来をつくる資本主義 世界の難問をビジネスは解決できるか [DIPシリーズ]

未来をつくる資本主義 世界の難問をビジネスは解決できるか [DIPシリーズ]

太田直樹氏のブログを読んでいたこともあり、たまたま古本屋で見つけたので購入。
営利活動と環境問題がどう関係しているのか。それについて考える良書。
「企業の進化過程」の図(p.43)が本書の分かりやすいまとめでしょう。
1.1960年代
→環境汚染と汚染否定(産業活動のためにはしょうがない)
2.1970年代〜1980年代
→行政主導の規制によって、環境問題を生じる営利活動を規制していた。
→企業が社会的義務を果たすためには利益を犠牲にしなければならない(トレードオフ)という思い込みを生んだ。
3.1980年代半ば〜1990年代
環境保護、汚染防止のための市場インセンティブ排出権取引といった別のアプローチの模索。
→日本企業の「カイゼン」の流行と、環境汚染の「予防」手法のブーム。
→情報公開と透明性を強化する自主的取組の増加。
4.1990年代半ば〜現在
→環境技術を中心に再編された企業や、経済ピラミッドの底辺にいる40億人の貧困層を取り込んでより包括的でグローバルな資本主義が形成される。

企業は環境保護を超える活動を通じて、山積する社会や環境の問題への対処だけでなく、十年単位の未来を見据えたイノベーションや成長の基盤づくりを目指している。それは今の競合他社に勝つだけでなく、将来の技術や市場を先取りすることにもつながる。要するにライバルよりも優れた戦略を生み出し、同時に人類を持続可能な世界へより早く連れて行ってくれるのが持続可能なグローバル企業なのである。(p.42)

あと本書の最後の部分(第9章)で指摘されているコメントは熱い。
持続可能性のポテンシャルを引きだす前提条件としての社員の想像力を引き出すために企業がやらなければならないことは何か、という問題提起のあとに次のような例をあげている。

これに関連して思い出されるのが、建設現場で働く三人の男の寓話だ。三人とも同じ仕事をしているが、自分の仕事について尋ねられると、それぞれが違う答えを返す。一人目は「石を切っている」と答え、二人目は「生活費を稼いでいる」といい、三人目は「大聖堂を立てている」と答えた。大企業の社員には、自分の仕事を石切か、せいぜい生計を立てる手段とみなしている人があまりにも多い。持続可能性はいわば21世紀の大聖堂だ。これ以上に重要な目標、高尚な野望、そして大きなビジネスチャンスがあるはずがない。企業に足りないのは資源ではなく、想像力だ。持続可能性の大聖堂を建てるには、社員に自由にやる権利を与えなければならない。
(中略)
上級管理者のリーダーシップも重要だが、社員一人ひとりがイニシアティブをとることも重要だ。その取っ掛かりとして、持続可能性に関する自分自身の個人的なビジョンと行動計画を書き出すのがいいだろう。持続可能な企業、世界を作るために今の役割範囲の中で何ができるだろうか。それを書き留める。そして実現を誓う。達成したい現実的なビジョンを描いたら、現実に目を向けてみよう。現実自体は問題ではなく、今の自分に与えられている資源、人および機会をあらわしているに過ぎない。現実に目をむけ、次に、自分の描いたビジョンとのギャップを見極めよう。(p.315-316)

自分が取り組む業務を持続可能性という大きな観点から見た場合に、自分にとっての「大聖堂」とは何になるのだろうか。そんなことを考えさせられます。